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中日新聞2005年4月13日から抜粋
冒頭で、
憲法が現実に合わないからといって、簡単に引き下げてしまうべきではない。「憲法はまさに理想である」との前提で語られています。
生活の中で、理想と現実は食い違うものだ。「こうしたい」と思っても、なかなかうまくいかない。その時に、理想に向かって努力すから、生活がよくなる。
憲法は、まさにその理想を示すものなのです。
もし、現実に合わせるために理想を変えたら、そこを基準としてさらに現実が離れていく。磁石の隣にもう一つ(同じ極の)磁石を置くと、すっと向こうへ逃げていくのと同じです。
私も以前は「憲法は法律の親分」ぐらいにしか思っていなかった。しかし、法律は、私たちが社会の秩序を乱さないようにするもの恥ずかしながら私めも、立憲主義といわれても大昔に習ったこともすっかり忘れているようなありさまです。
で、憲法は国家に歯止めをかける道具。まったく、向きが逆なんです。憲法を守るのは国家の側、国民は守らせる側。このような考えを立憲主義という。
世界で憲法改正が多く行われているというが、国の根本を変えているところはどこにもない。例えば、フランスは一七八九年のフランス革命の人権宣言がまだ生きている。でも、時代遅れなんて誰も言わない。
日本の憲法で最も大切な価値は、一三条の「すべて国民は、個人として尊重される」というフレーズ。お互いが尊重し合って、自分 らしく生きていくということ。
『世界で憲法改正が多く行われているというが、国の根本を変えているところはどこにもない。 例えば、フランスは一七八九年のフランス革命の人権宣言がまだ生きている。とあります。
でも、時代遅れなんて誰も言わない。』
この考えを国家のレベルに広げると、それぞれの国が同じである必要もない。日本の積極的非暴力平和主義の九条の考え方も、根本は個人の尊重にある。前文と九条は、日本の英知。と、さらっと述べています。
この考えを進める改憲ならすばらしい。私たちが幸せになる改憲ならいい。しかし、今の改憲論議は、それを後退させようとしている。
欧米で、政治家の資質は、憲法の価値に忠実かどうかで判断される。だが、日本では、政治家の無能を憲法のせいにして責任逃れをしようとしている。
憲法を変えて突然、国民の生活がすばらしくなるわけはない。憲法は魔法のつえではないのだから…。
今、改憲問題に対する国民の意識は高まっていない。これは、国民にとって、現在の憲法で不都合がないからだ。 不都合なのは、権力を行使する側 なんです。
憲法はまさに理想。現実に合わせたら、現実が離れる。
私は立憲派です。
「伊藤塾」塾長・伊藤真氏
憲法が現実に合わないからといって、簡単に引き下げてしまうべきではない。
生活の中で、理想と現実は食い違うものだ。「こうしたい」と思っても、なかなかうまくいかない。その時に、理想に向かって努力すから、生活がよくなる。
憲法は、まさにその理想を示すものなのです。
もし、現実に合わせるために理想を変えたら、そこを基準としてさらに現実が離れていく。磁石の隣にもう一つ(同じ極の)磁石を置くと、すっと向こうへ逃げていくのと同じです。
私も以前は「憲法は法律の親分」ぐらいにしか思っていなかった。しかし、法律は、私たちが社会の秩序を乱さないようにするもので、憲法は国家に歯止めをかける道具。まったく、向きが逆なんです。憲法を守るのは国家の側、国民は守らせる側。このような考えを立憲主義という。
世界で憲法改正が多く行われているというが、国の根本を変えているところはどこにもない。例えば、フランスは一七八九年のフランス革命の人権宣言がまだ生きている。でも、時代遅れなんて誰も言わない。
日本の憲法で最も大切な価値は、一三条の「すべて国民は、個人として尊重される」というフレーズ。お互いが尊重し合って、自分らしく生きていくということ。
この考えを国家のレベルに広げると、それぞれの国が同じである必要もない。日本の積極的非暴力平和主義の九条の考え方も、根本は個人の尊重にある。前文と九条は、日本の英知。
この考えを進める改革ならすばらしい。私たちが幸せになる改憲ならいい。しかし、今の改憲論議は、それを後退させようとしている。
欧米で、政治家の資質は、憲法の価値に忠実かどうかで判断される。だが、日本では、政治家の無能を憲法のせいにして責任逃れをしようとしている。
憲法を変えて突然、国民の生活がすばらしくなるわけはない。憲法は魔法のつえではないのだから・・・。
今、改憲問題に対する国民の意識は高まっていない。これは国民にとって、現在の憲法で不都合がないからだ。不都合なのは、権力を行使する国なんです。
(聞き手=金井、後藤)
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内容紹介 ◎ジャーナリスト 大谷昭宏氏推薦 白バイは“黒バイ”か 地方局記者が執念で迫る 「これです」 被告の支援者が数枚の写真を取り出した。 路面には黒々とした二本の筋。 裁判で有罪の決め手となった、スクールバスの「ブレーキ痕」だ。 「このブレーキ痕は、警察が捏造した疑いがあります。これは冤罪ではありません。警察組織の犯罪です」 ――二〇〇六年三月三日午後二時半頃、高知県旧春野町(現高知市)の国道五六号で、高知県警の白バイと遠足中のスクールバスが衝突し、白バイ隊員(二十六)が死亡。 バスの運転手、片岡晴彦さん(五十二)は現行犯逮捕された。 同年十二月には業務上過失致死罪で起訴され、翌二〇〇七年六月には禁固一年四カ月の実刑判決が高知地裁で下された。 その後、高松高裁、最高裁と判決は覆らず、二〇〇八年十月、片岡さんは獄中の人となった。 香川県と岡山県を放送エリアとする地方テレビ局「KSB瀬戸内海放送」。 同局の報道記者である著者のもとに突然、見知らぬ男性から電話が掛かってきた。 男性は、「この裁判は作られたものだ」と訴えた。 事件が発生した高知県のマスコミは、どこも耳を貸してくれない。 藁をもすがる思いで、かすかなつてを頼って県外の地方局の記者に連絡してきたのだ。 この一本の電話をきっかけに片道三時間半、著者の高知通いの日々が始まった。 法廷の場で結審されたとはいえ、不可解な点が多々ある高知「白バイ衝突死」事故。 本事件の闇を徹底的に追った渾身のルポルタージュ! ◎テレビ朝日『報道発 ドキュメンタリ宣言』の放送で大反響! |